002:情報社会とは何か(その1)

1.情報社会の定義

読者の皆さんは現代を情報社会と呼ぶことに異論はあるだろうか。世間では、“情報社会”の冠がつくキーワードが溢れかえっているから、知らず知らずのうちに現代は情報社会であると刷り込まれてしまっている。しかし、あらためて問われると答えに窮してしまうに違いない。もちろんITの発達により、世界を行き交う情報量は圧倒的に増加しているからそれをもって現代は情報社会だという解釈も成り立つだろう。しかし、一般的には情報社会とは工業社会の次代に位置づくものだから、現代を情報社会であると認めることは即ち現代は工業社会ではないと認めることと等しい。では現代は工業社会ではないのだろうか。

情報社会では知識が重要視される、とか社会が自律分散によって運営され個人が尊重されるという言説が流布されるが、そのような説明ではわかるようでわからない。フォーディズムの時代と比較すれば現代との間に差異があることは理解できるが、それをもって情報社会だとする根拠はどこにあるのだろうか。実はアカデミズムの世界でも情報社会の定義は一致していない。

情報社会を初めに定義したのはおそらくダニエル・ベル氏だろう。ベル氏の考えを簡単に述べれば、工業社会が合理化を追求することによって余剰となる人員がサービス業に移行し次代はサービス業が中心になる、ということだ。それを脱工業社会あるいは情報社会と呼んだ、脱工業社会を情報社会と呼んだのは、サービス業は人が人にサービスを提供することで成り立つため、工業社会の有形な資源に代わって情報や知識が重要な資源になるという前提からだ。「第三の波」の著者であるアルビン・トフラー氏の考えもおおよそ同じものだ。彼等は情報社会の到来はおおよそ20世紀の後半から21世紀の初めくらいであると予見した。

ところが情報の重要性自体に着目すれば、それは脱工業社会に始まることではなく、すでに近代国家が成立した18世紀や19世紀から重要視され始めたと言われる。アンソニー・ギデンス氏は、国民国家が国土や国家を監視・統制するためには必然的に情報が重要になると考えた。ダニエル・ヘッドリク氏はその著書「情報時代の到来」の中で、情報が重要視されだしたのはヨーロッパにおいて三十年戦争が終結し近代が始まろうとしていた時期からだと述べており、ギデンス氏の見解と符合する。ヘッドリク氏によれば、そのころから国土の測量や統計、百科事典の編纂、植物分類法の統一、通信技術の開発などが盛んにおこなわれ始めたとされる。17世紀に始まる大航海時代、大洋を航行するのは命がけだった。いまでもそうだが航海士は常に自分達がどこにいるか把握する必要がある。そうでないと、あらぬ方向に船が進んだり、その挙句座礁して船が沈没する危険があるからだ。17世紀ごろは当然ソナーなどの機器はないから、航海士は星の位置などから高度な計算をして自分達の位置を求めなければならなかった。その結果生まれたのが対数表である。対数表を用いれば、x×yという掛け算を足し算で求めることができるから(即ちLogx+Logyとして計算する)計算がいくらか簡便になりその分間違いが生じにくくなる。天文学者のネイピアは対数表の作成に20年を要したという。現在ではコンピュータを使えばたちどころにx×yの計算はできるがそのような機械がない当時は予め数表を準備しておいてそれを基に手計算をおこなっていたのだ。現在でも統計学の本の巻末などに正規分布の数値が掲載されているが、それと同様だ。その後登場したコンピュータの父と言われるバベッジは、誤りの多い対数表をはじめとした数表を是正するため19世紀前半階差機関(コンピュータの原型のひとつ)を開発した。

世界初の近代的な国勢調査は確かスペインで行われたはずだが(間違っていたらごめんなさい)アメリカがもっとも本格的に実施した。手集計による国勢調査の限界が確実視される中ホレリスが開発し1890年のアメリカの国勢調査で利用されたパンチカードシステムがやがてIBMとなることは有名な話だ。

しかしながら、近代に限定しなければ古代中国でも国土の調査は行われたし、ローマ帝国でも行われた。豊臣時代に行われた太閤検地もその類に含まれるだろうし、検地は遥か律令時代から実施されていた。また、国勢調査ではなく、国家的情報収集ということであればユーラシア大陸を席巻したモンゴル帝国の伝令は被支配地の国情を迅速にチンギスハーンに伝えるための仕組みだった。先のヘッドリク氏によれば、フランスで開発された腕木通信システムは、19世紀初めに電信が発明されるまでは最も進んだ通信システムだった。その仕組みは国土に間隔をあけて塔を設置しその上に腕木を設け塔から塔へと情報を連携して伝える仕組みである。

このように為政者による国土の掌握には情報が必須なのだ。つまり、今日でいうITとかICTはコンピュータ誕生前から要請されていたことになる。情報の要求は、為政者だけでなくやがて産業社会にも広がる。ロスチャイルドがワーテルローでのナポレオンの敗退をいち早く聞きつけロンドンの市場で巨万の富を得た話は有名だ。今日の状況は、社会の発展とともに情報の絶対量が著しく増加した結果だと考えることもできる。結局情報に対する要求は遥か昔から存在するのであり、コンピュータが情報社会を導いたというような技術決定論で情報社会を語ることには矛盾があることになる。コンピュータは情報要求に応えるための道具に過ぎないのだ。

しかし、このことをもって工業社会の次に情報社会を予見することが否定されるわけではない。それは視点を変えて社会を観察することによって定義付けられる。

 

2.「業」という固定観念

ダニエル・ベルのように農業⇒工業⇒情報業という「業」の視点で社会の変遷と見ることははたして妥当なのだろうか。ここで言う「業」とは産業の意味である。さらに言えばそれは生産者の視点であり、その根底には近代的な経済的合理主義に則り貨幣的利潤を追求するという暗黙的前提から社会の変化を捕捉する視点があるように思える。

しかし、農業社会は工業社会のように利潤を追求する目的で農産物を生産していたのだろうか。清水正徳氏の著書「働くことの意味」に中世のヨーロッパの農民は労働を労苦と考えていたと記されている。より多く働き農産物をたくさん収穫するよりも、時間があれば神様への信仰行為を優先したと言われている。つまり宗教的価値観が社会の中心であり、農産物を効率的に生産してより多くの富を獲得することに主眼を置いていたわけではなかったのではないか。つまり、農業社会と工業社会を対比するとき、経済的合理主義に慣らされている今日の我々は、あたかも工業製品の代わりに農産物によって利潤を獲得することが農業社会であったかのように錯覚するが、実は農業社会は経済的合理主義自体が価値を持たない社会であったのではないか。このように考えると産業の視点から社会の変化を観察することは適切ではなく、したがってその延長として情報社会を見ることも間違いである。つまり、ダニエル・ベルの言うサービス業という供給側からの視点で情報社会を定義付けることには無理があるのである。

その2につづく

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